ドラゴンボートとは

現在、ドラゴンボートは競技として確立されており、
日本選手権をはじめ世界選手権も開かれる国際的なスポーツです。

   

●ドラゴンボートの歴史

 古代中国・春秋戦国時代。楚の詩人であり政治家である屈原は、強国・秦の謀略に踊らされた政敵のために失脚、長江に怒りの入水自殺をしました。以来、屈原を慕う農漁民は、命日になると救出に向かった日を想い手漕ぎ舟競漕をするようになったといいます。  日本へは江戸時代に造船技術とともに長崎へ伝来しました。時を経て、造船技術を身に付けた長崎出身の工員が兵庫県相生市にできた石川島播磨重工業に集まるようになると、故郷を偲んでペーロン祭を行うようになりました。そして今や、全国・全世界でドラゴンボートが楽しまれています。

 
●ルール
 艇の形や漕ぎ手の人数、距離等は大会によって異なります。世界選手権をはじめとする標準的なものは、漕手20人、太鼓手1名、舵取り1名の合計22人乗り。約500mの距離でタイムを競います。出場チームが多い場合は、順位決定戦が行われます。
 鼓手が打ち鳴らす太鼓に合わせ、漕手が一糸乱れずパドルを繰り出す様は圧巻。競技時間は2分30秒から3分程度という短い時間ですが、それだけに「熱く」なる競技だと言えます。

●「和歌山マリーナシティ」でのレース
「海都wakayama21 第1回和歌浦ドラゴンボート選手権」は平成12年10月1日(日)、和歌山マリーナシティの250m特設コースでオープン、男女混合の2種目に合計30チームが参加して行われました。
「夢いっぱい、愛いっぱい、花いっぱい」をテーマに掲げ、海を舞台とするイベントの展開で観光都市の創造を目指している和歌山市。その中心となる「海都wakayama21 和歌浦プロモーション事業」の目玉として、本大会はミレニアムの年に誕生しました。会場となった和歌山マリーナシティは平成6年、世界リゾート博が開かれたところ。名勝・片男波を臨む美しい海と山に恵まれた地です。現在はテーマパークのポルトヨーロッパ、海の幸を味わえる黒潮市場などが人気を集め、シーズンともなるとひきもきらず観光客が詰め掛けます。
 その地に面した海上で、「海都wakayama21」を盛り上げたのが第1回の和歌浦ドラゴンボート選手権です。初開催ということもあって、参加チームがどれだけ集まるのか疑問視されましたが、最終的には定数が申し込みました。  秋の変わりやすい空模様にこの大会も翻弄され、週間天気予報によれば、当日は雨の見込み。ところが、前日夜遅くまでは雨に強い風が吹いたものの当日は晴天となり、10月とは思えない気候が大会の開催と参加者を祝福します。
 性別を問わないオープンは大半が地元から。一方、男女いずれか8人以上が乗り込む男女混合は一部を除いて和歌山県外を占めたレースは、午前10時45分に開始。大方の予想では、県外のチームが勝ち進むものと思われましたが…。
 キャリア豊富なクルーが揃った男女混合は戦前の予想通りに進んだものの、未経験者を多数含むオープンは混戦模様。その乱戦状態を制したのは、地元の消防職員による「WAKAYAMA FIRE」でした。
 各大会を通じて言えるのは、龍舟とは団体競技であるということ。その意味からすると、日頃からチームワークを重視する消防関係の方が勝っても、少しも不思議ではないですよね。  ゆくゆくは国際大会の開催も和歌浦大会は目指しています。その目標に向け、今回は幸先の良いスタートを切ったと言えるでしょう。

●世界のドラゴンボート
 ドラゴンボートとは、紀元前300年、中国の湖南地方で楚の宰相屈原が失脚により長江に身を投じたことから始まった世界最古の手漕ぎ舟の競漕。やがて、この手漕ぎ舟競漕は、中国国内で水辺で亡くなった人を追悼する競技、雨乞いの神事となって定着するとともに、中国人の海外進出にともない、世界各地でドラゴンボートが広まっていきました。
 1976年には、香港で香港国際龍舟祭が創設され、水上スポーツ愛好者が参加し、ドラゴンボートブームが巻き起こりました。また、観光開発の新規イベントとして成功したことから、翌年にはシンガポールで、2年後にはマレーシアで国際大会ができました。 一方、イギリス、オーストラリア、カナダなど欧米でも人気を呼び、1991年に国際ドラゴンボート連盟が結成され、翌年にはアジア・ドラゴンボート連盟が生まれています。

 アジアドラゴンボート選手権大会の話は、平成10年9月12日に開催された「ペーロン・シンポジウム」の中で、「ペーロンを通 じて市民がロマンの持てる大きな目標として、例えばアジアドラゴンボート選手権大会を相生で開催しては」との提案があり、2002年(平成14年)は相生市制施行60周年とペーロン競漕が相生市で行われてから80周年を迎える年であることから、相生市への誘致を立候補したものです。
 2002年の第5回大会が日本で初めて相生市で開催されることが、平成11年7月23日に大阪市で開かれたアジアドラゴンボート連盟理事会において内定し、2000年10月13日、中国上海市で開かれたアジアドラゴンボート連盟総会で、第5回アジアドラゴンボート選手権大会の相生市開催が正式に決定しました。 翌日、谷口芳紀市長は、アジアドラゴンボート連盟会長劉吉氏、日本龍舟協会理事長結城肇氏と共に相生市開催の認印式に臨み同日午後からの閉会式で第4回アジアドラゴンボート選手権大会開催地の上海市より連盟旗の引き継ぎが行われ、相生市開催準備も本格化してきました。
 ドラゴンボート選手権は、アジアドラゴンボート連盟が主催し、各国の協会が主管をし、2年に一度開催されます。 1994年に中国広東省の肇慶市で第1回大会を開催、1996年に香港、1998年にマレーシアのペナンで行われ、2000年大会は中国の上海市で開催されました。

第1回 1994年(平成6年) 中国広東省(肇慶市) 600m 1,000m (男・女) 5ヵ国と2地域: 中国、フィリピン、シンガポール、マレーシア、日本、香港、マカオの14チーム
第2回 1996年(平成8年) 香 港 500m 1,000m (男・女・混合) 5ヵ国と2地域: 中国、マレーシア、インドネシア、日本、台湾、香港、マカオの14チーム
第3回 1998年(平成10年) マレーシア(ペナン) 250m 500m (男・女・混合) 4ヵ国と2地域: 中国、シンガポール、マレーシア、日本、香港、マカオの12チーム
第4回 2000年(平成12年) 中国(上海市) 250m 500m 1,000m (男・女・混合) 4ヵ国と2地域:中国、シンガポール、マレーシア、日本、香港、マカオの11チーム
第5回 2002年(平成14年) 日本(相生市) 250m 500m 750m (男・女・混合)